■ 前回までのあらすじ
トイレの我慢には「気合い」という非科学的スキルが介入する。
そして人間は、ポストに不在票を投函しながら、己の腹痛と闘う生き物でもある…
時刻は19時20分。
空はすっかり暗くなり、街灯と月と他人の家の照明だけが、俺の視界をぼんやりと照らしている。
助手席には残り数個の荷物。あとちょっとで終わる。
だが、ここからが地獄の始まりだ。
■ それは香りのステルス攻撃
ある家の前に立った瞬間、ふわりと漂ってくる“やつ”がいる。
ニンニク。
それも、火が通って甘くなったタイプ。
そう、あの炒め物の香りだ。
鶏か、豚か。はたまた餃子か。
とにかく、空腹の胃袋に突き刺さる。
チャイムを鳴らす前に、まず香りにやられる。
おい、これはもう飯テロじゃない。これは拷問だ。
■ 胃袋のタイマーは20時にセットされている
配達員にとって「夕飯」は基本、遅い。
早くて21時。下手すれば22時。
もちろん、コンビニのおにぎりで済ませることも多いが、それだって簡単ではない。
なぜなら、19時台は家庭のゴールデンタイム。
テレビの音、風呂の音、そして「うちのごはん」から立ち上る幸福の煙。
この時間帯に住宅街を回ると、まるで“家庭の幸せオーラ”を鼻から吸い込むことになる。
しかも、空腹の状態で。
■ この世でもっともハラが減る音、それは…
油が跳ねる音。
味噌汁をよそう音。
子どもが「今日のごはんなにー?」と聞く声。
それらがセットになったとき、俺の胃袋はキュルルルと鳴き声をあげる。
不在票を投函しようとした手が止まる。
いっそピンポンを押して、「なに作ってるんですか?」と聞きたくなる。
でもそんなことしたら完全に通報される。
だから俺は、何食わぬ顔で再配達票を書き、何事もなかったように立ち去る。
心の中では「それは煮物か、炒め物か、どっちなんだ…」と迷宮入りしているのに。
■ いちばん辛いのは「鍋」の匂い
正直、焼き魚や焼肉はまだ耐えられる。
でも鍋だけはダメだ。
なぜなら、鍋は視覚に頼らずとも、その香りだけで具材を特定できるからだ。
白菜、鶏つみれ、しいたけ、ポン酢。
香りのデータベースが、脳内で一瞬にして展開される。
そこに自分の飯がないことに気づいた瞬間、悲しみが襲う。
「なぜ俺は、いま、この場で鍋を囲んでいないのか」
哲学的問いがよぎる。
きっと、鍋の香りには**“帰属欲求”を刺激する何か**があるのだ。
自分が家族じゃないことに気づかされるからこそ、あの香りはエモい。

いや…カレーが1番しんどい…
■ それでも、配達は続く
俺は荷物を届けるために来た。
誰かが、誰かのために注文したその小包が、いま俺の手にある。
その小包が、もしかしたら“鍋のもと”だったかもしれない。
明日以降、別の誰かの食卓であの香りが立ちのぼるのだろう。
そう思うと、拷問のような空腹にも、ほんのすこし、意味があるような気がした。
■ 帰宅後の一杯、それがすべてを報われる瞬間
仕事を終えて帰宅し、冷蔵庫の残り物をかき集めて食べる夜ご飯。
それは豪華なわけではない。
でも、一日中食べられなかった分の幸福がそこに詰まっている。
他人の家の排気口から香る晩御飯を想像し、帰った絶対に生姜焼きにするんだ!と意気込んで帰る日もある。
レンチンしただけの冷やご飯と、残り物の味噌汁。
なぜか涙が出るほど美味い。
そう、あの「家庭の匂い」を吸いながら働いた時間が、すべて報われる瞬間がここにある。
■ 意見・感想・通報はお近くの焼き鳥屋さんまで
配達員は、誰かの幸せの匂いを感じながら働いている。
その幸せに混ざれなくても、ちゃんと役に立っていると信じてる。
……でも、次こそ鍋に混ぜてくれませんか?