【配達員のリアル#08】拷問。家から漏れる飯の香り

配達のあれこれそれどれ!?

■ 前回までのあらすじ

トイレの我慢には「気合い」という非科学的スキルが介入する。

そして人間は、ポストに不在票を投函しながら、己の腹痛と闘う生き物でもある…

時刻は19時20分。

空はすっかり暗くなり、街灯と月と他人の家の照明だけが、俺の視界をぼんやりと照らしている。

助手席には残り数個の荷物。あとちょっとで終わる。

だが、ここからが地獄の始まりだ。

■ それは香りのステルス攻撃

ある家の前に立った瞬間、ふわりと漂ってくる“やつ”がいる。

ニンニク。

それも、火が通って甘くなったタイプ。

そう、あの炒め物の香りだ。

鶏か、豚か。はたまた餃子か。

とにかく、空腹の胃袋に突き刺さる。

チャイムを鳴らす前に、まず香りにやられる。

おい、これはもう飯テロじゃない。これは拷問だ。

■ 胃袋のタイマーは20時にセットされている

配達員にとって「夕飯」は基本、遅い。

早くて21時。下手すれば22時。

もちろん、コンビニのおにぎりで済ませることも多いが、それだって簡単ではない。

なぜなら、19時台は家庭のゴールデンタイム。

テレビの音、風呂の音、そして「うちのごはん」から立ち上る幸福の煙。

この時間帯に住宅街を回ると、まるで“家庭の幸せオーラ”を鼻から吸い込むことになる。

しかも、空腹の状態で。

■ この世でもっともハラが減る音、それは…

油が跳ねる音。

味噌汁をよそう音。

子どもが「今日のごはんなにー?」と聞く声。

それらがセットになったとき、俺の胃袋はキュルルルと鳴き声をあげる。

不在票を投函しようとした手が止まる。

いっそピンポンを押して、「なに作ってるんですか?」と聞きたくなる。

でもそんなことしたら完全に通報される。

だから俺は、何食わぬ顔で再配達票を書き、何事もなかったように立ち去る。

心の中では「それは煮物か、炒め物か、どっちなんだ…」と迷宮入りしているのに。

■ いちばん辛いのは「鍋」の匂い

正直、焼き魚や焼肉はまだ耐えられる。

でも鍋だけはダメだ。

なぜなら、鍋は視覚に頼らずとも、その香りだけで具材を特定できるからだ。

白菜、鶏つみれ、しいたけ、ポン酢。

香りのデータベースが、脳内で一瞬にして展開される。

そこに自分の飯がないことに気づいた瞬間、悲しみが襲う。

「なぜ俺は、いま、この場で鍋を囲んでいないのか」

哲学的問いがよぎる。

きっと、鍋の香りには**“帰属欲求”を刺激する何か**があるのだ。

自分が家族じゃないことに気づかされるからこそ、あの香りはエモい。

いや…カレーが1番しんどい…

■ それでも、配達は続く

俺は荷物を届けるために来た。

誰かが、誰かのために注文したその小包が、いま俺の手にある。

その小包が、もしかしたら“鍋のもと”だったかもしれない。

明日以降、別の誰かの食卓であの香りが立ちのぼるのだろう。

そう思うと、拷問のような空腹にも、ほんのすこし、意味があるような気がした。

■ 帰宅後の一杯、それがすべてを報われる瞬間

仕事を終えて帰宅し、冷蔵庫の残り物をかき集めて食べる夜ご飯。

それは豪華なわけではない。

でも、一日中食べられなかった分の幸福がそこに詰まっている。

他人の家の排気口から香る晩御飯を想像し、帰った絶対に生姜焼きにするんだ!と意気込んで帰る日もある。

レンチンしただけの冷やご飯と、残り物の味噌汁。

なぜか涙が出るほど美味い。

そう、あの「家庭の匂い」を吸いながら働いた時間が、すべて報われる瞬間がここにある。

■ 意見・感想・通報はお近くの焼き鳥屋さんまで

配達員は、誰かの幸せの匂いを感じながら働いている。

その幸せに混ざれなくても、ちゃんと役に立っていると信じてる。

……でも、次こそ鍋に混ぜてくれませんか?

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